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瑞林寺の歴史

瑞林寺の変遷

瑞林寺はいまを去る四〇〇年以上前の、時は天下分け目、関ヶ原の戦いの時代の一六五七年慶長二年に越後を貫いて流れる信濃川下流に位置する新潟に、智了という方を初代の住職として、親鸞聖人のお念仏の教えを広めるために開かれた浄土真宗のお寺です。

瑞林寺はもと戦国時代、越後を統一した上杉家によって開基されたと伝えられ、現十九世住職まで連綿と今日に及んでおります。

この寺のある越後の蒲原平野は、信濃川の下流の低湿地、一面の葦沼や湖沼の地であり、そこへ織田信長に敗れた武田勝頼の家臣、農民が信濃川から上杉家をたよって信濃川を下って越後に移り住む。

また日本海の海岸沿いには石山(大阪)本願寺の一向一揆の戦いに、信長に敗れた本願寺の僧侶門徒が越前・加賀・能登の北陸方面から船団を組み新天地に未来を託して移り住んだ真宗門徒が、降りしきる冬の雪、くり返す河川の氾濫による水と闘いながら開拓をすすめてきた土地です。

泥沼に身を浸し、田を起こし苗を育てる。 やっと実った稲も収穫を目の前に洪水に襲われ流される。 その繰り返しの中、苛酷な自然条件の苦難を生きて耐え抜く、その心の精神的支えとして、浄土真宗の開祖、親鸞聖人の教えに導かれ、ともに歩んで来たのがお寺の歴史です。

その長年の積み重ねが、低湿地の葦沼の泥地が日本一の米どころ 「コシヒカリ」を生産する越後平野の美田の成り立ちの源泉です。

新潟県の信濃川の下流に開ける穀倉地帯、蒲原という越後平野は みなこのように開拓され、ほとんど瑞林寺と同じ浄土真宗のお寺と その門徒によって占められ、新潟県人の「忍耐力と勤勉さ」の県民性は このような先人の苦労によって形成されました。


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